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CAPOEIRA UNIVERSAL

創始者

メストレ・モビリア

リオのコミュニティから世界のトップへ。人生の逆境を乗り越え「敬意」を伝える指導者

創始者であるメストレ・モビリアは、リオデジャネイロ郊外のアカリ地区で生まれ育ちました。生まれつきの身体的なハンデや、社会的なハンデを乗り越え、7歳からカポエイラひと筋の人生を歩んできました。

その長きにわたる献身により、世界最大のカポエイラ団体「アバダ・カポエイラ」において「メストランド」の位に就任。ブラジル国内のみならず、世界5大陸30か国でワークショップやショーを行う世界的指導者として活躍しました。

その後、自身のこれまでの経験の集大成として独立。「誰もが尊重され、価値を認められる場所」を目指し、新団体『カポエイラ・ウニヴェルサウ』を設立しました。

創始者からのメッセージ

「カポエイラと私の人生」

7歳の頃、私はリオデジャネイロ郊外のコミュニティの他の子供たちと同じように、通りで遊ぶのが日課でした。そんなある日、どこからともなくビリンバウの音が聞こえてきました。夢中でその音の在り処を探して歩き回り、一つの場所にたどり着きました。「キロンボ・ヂ・アカリ」と呼ばれるそこでは、度々サンバのショウが行われ、郊外のアフロブラジリアン文化の拠点の一つでした。そこでカポエイラのクラスをしていたのがメストレ・ナシオナウ。私にジンガを教えてくれた人です。道場に足を踏み入れると、そこでは皆がジンガを踏み、手拍子をし、歌っていました。私は感動し、すぐに母に「これをやりたい!」と言いました。何度も頼み込んだ末、母は誕生日のプレゼントとしてそれを許してくれ、1982年4月5日、私はカポエイラの世界に入りました。それは私にとって最大の喜びでした!

しかし、私は多くの障害を乗り越えなければなりませんでした。その一つが身体的な障害です。生まれたとき、私の両足は変形して後ろを向いていました。繰り返しの手術により普段から満足に歩行もできず、私の「人生の最初の一歩」のひとつは、まさにカポエイラの稽古を始めたことでした。

もう一つの障害は、当時のブラジル社会でのカポエイラに対する偏見でした。当時、カポエイラは「マランドロ(不良、ならず者)」の集まりだと見なされており、私の家族も強い偏見を持っていました。そのため、私は11歳のときにカポエイラを続けるために家を出る決心をしました。友人たちの家を転々とし、昼食も夕食も食べられる時にだけ食べ、時に1つの皿を仲間と分け合う生活の中で、困難を忘れるために仲間とただひたすら稽古に打ち込みました。それでも私は自分の道を疑わず、努力と忍耐によって、カポエイラと共に道を切り開いていきました。

「ウニベルサウ」に込めた想い

「カポエイラ・ウニベルサウ(CAPOEIRA UNIVERSAL)」という名前は、「カポエイラの普遍化(すべての人に開かれたものにすること)」を意味しています。 この団体は、私が長年カポエイリスタとして経験してきた、素晴らしい経験だけでなく、ネガティブな経験から得た教訓を元にして創めた集大成です。そしてその、最も大切な理念の一つを「敬意(RESPEITO)」としました。 個々の異なる信念や意見への敬意、そして個々が歩んできた人生への敬意です。

日本の皆さんへ

日本支部を託した鈴木湖太郎と、日本の皆様へ

日本支部代表の鈴木湖太郎(Professor Choque)は、私が心から信頼し、支部を託したカポエイリスタです。 彼は自らブラジルへ渡り、リオのコミュニティに深く入り込み、カポエイラの文化とそこに暮らす人々を真に理解しようと人生を懸けて取り組みました。あらゆるジョーゴ(組手)に対応し、探求を止めないその姿勢と、他者への深い敬意を、私は長年見てきました。彼のような本場の経験と技術を持つ指導者が日本にいることは、皆様にとって素晴らしい環境となるはずです。

日本の皆さん、どうかカポエイラと共に常に幸せであってください。あなた自身が本当に尊重され、価値を認められる場所で稽古を続けてください。カポエイラがこれほど美しい芸術であるのは、愛を持って実践する人々がいるからです。いかなる時も、カポエイリスタとしての誇りを持って生きてください。

インストラクター

プロフェソール・ショッキ
本名:鈴木 湖太郎

本場リオのファべーラで培った「生き抜く力」と、心身を解放する第3の居場所(サードプレイス)へ

10代でカポエイラに出会い、強烈に惹かれた私は、「ブラジル人と同じ目線で社会に入り込みたい」という思いからリオデジャネイロへ渡りました。現地の水道局で働きながら修行を重ね、その後はリオ郊外のファべーラ(貧困地域)に身を置き、計5年間にわたる生活を送りました。

ファべーラでの日々は、映画で見るような綺麗で楽しいものばかりでは、決してありませんでした。しかし、限られた物資を分け合い、笑顔で助け合う人々の温かさがありました。同時に、常に周囲にアンテナを張り巡らせ、危険を未然に察知して身を守る「生きるための知恵」が不可欠な場所でもありました。この「状況に応じて柔軟に形を変え、危険を回避する」という教訓は、格闘技であるカポエイラの真髄そのものです。

外国人としての壁にぶつかることもありましたが、現地のソーシャルプロジェクトを通じてファベーラの子供たちにカポエイラを指導した際、彼らが私を「日本人」ではなく「先生(Professor)」と真っ直ぐな瞳で呼んでくれた瞬間は、本場のコミュニティに心から受け入れられ、恩返しができたと感じたかけがえのない経験です。

誰もが「自由な身体」を取り戻せる論理的な指導

長年、世界最大規模の団体で研鑽を積み、人体工学的にも効率的な身体の動かし方や、カポエイラ特有の動物的な動き(ビショス)を深く学んできました。私のクラスでは、それらの実践的な技術を、日本の未経験の方にも安全かつ分かりやすく、論理的にお伝えします。 ※私個人としては『ジナスチカ・ナトゥラウ(Ginástica Natural)』等も修了しており、より安全で効率的な身体の動かし方を日々研究しています。こちらは団体の公式カリキュラムではございません)

私が実現したい「想い」

カポエイラは単なるダンスではありません。格闘技としての確固たるルーツを持ち、音楽、楽器演奏、身体表現、そして人生哲学が一体となった「総合文化」です。

私がこの「カポエイラ・ウニベルサウ・ジャパン」で実現したいのは、皆様の健康増進はもちろん、ここを職場でも家庭でもない「サードプレイス(第3の居場所)」にしていただくことです。普段は隠している「本当の自分」を表現し、それぞれのペースでこの文化を楽しんでください。カポエイラを通じて人生を豊かにし、さらにはブラジルや世界中との国際交流の架け橋となる場所を、皆様と一緒に作っていきたいと願っています。

略歴

※より詳細な経歴や取得帯の履歴については、[詳細プロフィール(PDF)]をダウンロードしてご覧ください。

  • 2002年: アバダ・カポエイラの東京支部にてカポエイラ修行を開始。
  • 2005年: 同団体のリオ本部にて1年間の修業を行う。
  • 2008年: メストレ・モビリアに師事。これを機に、以降幾度もブラジルへ渡り、本場の技術と文化をより深く学び始める。
  • 2013年〜2023年: アバダ・カポエイラ日本オープンにて総合優勝。同団体の世界大会には、日本代表として計4回にわたり出場。
  • 2016年〜2019年: リオデジャネイロへ移住。2年半にわたり現地での稽古、大会出場、指導経験を積み、帰国後に東京での指導を本格スタート。
  • 2025年4月: 恩師の独立に伴い、長年在籍したアバダ・カポエイラを脱退。「カポエイラ・ウニベルサウ日本支部」として新たなスタートを切る。同年10月、リオにて「プロフェソール(茶帯)」の位を取得。
  • メディア・教育機関での実績: NHK総合『明鏡止水』出演、漫画『バトゥーキ』登場キャラクターモデル。また、リオデジャネイロ連邦大学や明治大学にて特別講義・指導を行うなど、国内外で幅広く活動。